私なりのPERFECT DAYS

日々随想

私の夫は、食事に対して美味しいと言ったことがありません。
私が作る食事だけでなく、どんな高級料理店に行ったときでも、私が「美味しいね?」と言えば「うん」とは言いますが、それだけです。
でも、不味いときは不味いというので、まったくの味覚音痴というわけではないのでしょう。
不思議だなあと思ってきましたが、不思議といえば、私は夫のそんな態度に傷ついたことが一度もないのです。

私は、私が美味しいと思えればそれで満足で、夫やほかの人からの賞賛がなくても全く気になりません。
なんといえばいいのか、自己完結しているのです。

私は事務員として働きながら「誰かの役に立つ仕事をしたい」と思い、良い相談相手になるために産業カウンセラーの資格を取りました。
そして結婚相談所で相談員になったり、起業女性のコーチをしたりしました。

起業女性のコーチを始めた頃、なんだか自分が透明なコクーン(繭)に入っているようで、どうしても外にいるクライアントと関われないという悩みを持っていました。
そして結局、一対一でコーチングする仕事はやめることにしました。営業活動がうまくいかなかったということもありますが、腹の底で人と関われないと思っている人が、コーチになることなど無理なのです。

願望実現は、潜在意識が願ったことしか実現しないと言いますが、まさにそれです。

顕在意識では「人の役に立ちたい、良い相談相手になりたい」と願っていても、潜在意識が人と関わることを拒否しているのですから、願望実現の法則に照らしても、私はカウンセラーやコーチになることはできません。

私自身、自分の潜在意識が何を望んでいるかは中学生のころから知っていました。
同級生に「山寺の尼さんになって、一生落ち葉を掃いていたい」と言ったことがあるのです。
彼は笑って「お前みたいなおしゃべりが、そんな生活できないだろう」と言いました。
確かに私は話が面白くて、ちょっと人気がありました。
でも私は話したくて話していたわけではありません。会話をしていたわけでもない。私は漫談家のように、昨日見た夢や、読んだ本の話を話していただけです。

50才近くになって自分が繭の中に入っていることに気付き、自分が望むような一対一の関係では人を助けられないと思ったとき、とても残念で、私の人生の意味は何だろうとさえ思いました。

しかし十年が経つ今、もし私が繭の中で自己完結しているなら、あえて無理してそこから出る必要はないのじゃないかと思うようになりました。

『PERFECT DAYS』という映画があります。
渋谷のトイレ清掃員が主人公の話で、彼は修行僧のように、同じように毎日を繰り返しています。
でも、一日として同じ日はなく、一瞬として同じ時はないことを彼は実感しています。

この映画を知って、私はもう、繭の中に一人で生きていることに劣等感を感じなくてもよいかもしれない、そう思いました。

主人公の平山が、私のように繭の中で自己完結している人かどうかはわかりません。
でも私は、かつて山寺の尼さんに憧れたように、彼のような生き方に憧れます。
他人の評価など関係なく、自分が納得できて満足できる生き方ができたら、それで良いと。

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