私が夫となる人に出会うまで(2)婚約破棄
32才くらいで婚約した人とは、私が主催したパーティーで知り合いました。
30才~31才ごろですね。せっかく素敵な服をを買っても着て行く場所が少ないので、それなら自分たちで主催しようというようなことだったと思います。
株式会社Kに勤めていた友達が、女性と同数の男性を集めてくれて、レストランを貸し切り、34名くらいの人数で3回くらいは開催した記憶があります。
8月終わりの暑いさかりに、ドレスコードを「ジャケット、ネクタイ着用」にしていたので、男性陣からは不評でした。中にはネクタイを持っていないと言い張る人もいたのですが、「リクルートのときどうしたの?」と友人が一喝して、外見上は素敵なパーティーになりました。
男女をそろえてパーティーをすると言っても、いわゆるお見合いパーティーではありませんから、自己紹介の時間もないし、ゲームもありません。
私たちはとにかく素敵なお洋服を着て、トアロードの東天閣で美味しい中国王宮料理を食べたかっただけで、ジャケットを着てネクタイを締めた男性陣は、舞台装置のようなものでした。
クリスマスの頃にも、東遊園地のレストランを貸し切ってパーティーをしました。
夏には「ツボでも売られるのかと思って心配した」とか失礼なことを言っていた男性陣でしたが、クリスマスともなると喜んで参加してくれました。
立食形式にして、ビンゴなどのゲームもしたからか、なんとこのパーティーで結婚するカップルが生まれたのです!
主催していた私や友人は、自分たちが結婚相手を探していなかったので感知していなかったのですが、やはり適齢期の女性たちは、結婚相手がみつかるといいなと思ってパーティーに来ていたようです。
男性陣は皆、大学院を卒業した人たちでしたが、職場は男性ばかりで、出会いが少なかったのでしょう。結婚することになった女性のお母様から「良い機会を作っていただいて」とお礼を言われて初めて、「なんか良いことをしたみたいだな」と気づいたのでした。
婚約したN氏とは、主催者と「舞台装置」の関係で知り合ったのですが、いつ、どういう経緯で一対一のお付き合いが始まったのか、はっきりとは覚えていません。
ただ二人で会うようになってから、話がとても面白くて、それでどんどん関係が深まっていったように思います。
付き合い始めて3か月くらいで私は母に紹介しました。N氏も「結婚を前提にお付き合いさせてください」と言っていたので、私としては次の日曜日にでも、N氏のご両親に会えると思っていたのです。
ところがそれから約1年間、デートはするけれどご両親への挨拶をするという話は出ませんでした。
私がご両親のことを尋ねると、お母さまが難しいというような口ぶりで「せめて姉とは仲良くしてほしい」などと言います。
全く話が進まないうちに時間が過ぎて行き、おかしいなと思っていたところへ、「MIOKOさんみたいな母子家庭の人は、ぼくみたいな転勤族とは結婚しないほうがいいと思う」と言われたのです。
「え?」としか声が出ませんでした。
我が家が母子家庭で、私が一人っ子であることは最初からわかっていたことなのに、今さら何を言うの?と思いました。
でも、瞬間、あまりにも腹が立ったので、「それならそれで結構」と言って別れ、それっきりです。
N氏と同じ会社に勤めていた友人も転職しましたし、パーティーごっこもしなくなっていたので、その後の消息などはまったくわかりません。
結婚しようと思うくらいには好きな人だったはずなんですが、別れる理由に母を出されたことで、千年の恋も冷める結果となりました。
私のどこがダメだとか、他に好きな人が出来たとか言われていたら、もっとぐじぐじ後を引いていたかもしれません。
母が早くに夫を亡くしたことや、一人しか子供を産めなかったことは、不幸なことではあっても悪く言われるようなことではないと思ったので、N氏への気持ちはいっぺんに冷めてしまいました。
こんなことがあって、もともと結婚願望がなかったこともあり、私はますます結婚する気を無くしていきました。
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