エステサロン経営者パチコスキー真由美さんの情熱「女性を輝かせたい!」
アメリカメリーランド州でエステサロンを経営なさっている、パチコスキー真由美さんにお話を伺わせていただきました。
パチコスキー真由美さん プロフィール
- 1969年生。
- 九州天草出身
- 短大卒業後、中華航空に就職。キャビンアテンダントとして台北で3年間勤務
- コンチネンタル航空に転職。中国語機内通訳をする。
- 結婚
- 出産を機にキャビンアテンダントを辞め、以降自分探しが始まる
- 夫の早期退職を機にメリーランド州へ転居
- 30歳。メイクアップアーティストになるため、美容師学校に入り免許を取得
- パートタイマーで美容院で働く
- スパも併設した美容院を持ちたいという夢を持つ
- 34歳。VON LEE INTERNATIONAL SCHOOL OF AESTHETICS, INCに入学。スキンケアを学ぶ
- 「伝説のエステティシャン」から教えを受けて、スキンケアの面白さに目覚める
- 学校を卒業後、スキンケアサロンに就職。アシスタントとして勤務
- 独立して、エステサロンを開業
- サロン経営が軌道に乗る
- 現在、サロン経営とともに「エステサロン開業」と「経営」についてのコンサルティングも行っている
自分探しの状態からエステサロンで起業するまで
起業しようと思ったきっかけ
― まず、起業しようと考えられたきっかけを教えていただけますか?
自分探しに5年かかった
真由美さん 最初キャビンアテンダントをしていたのですが、その頃から美容やコスメが大好きで、当時はファッションや化粧品に、お給料の3分の1をつぎ込むほどでした。
キャビンアテンダントを辞めたとき、「どうすれば、これから自分で勝負していけるのかな?」と自分探しが始まって、最初の5年ぐらいは、色々悩みました 。
― 5年間も、悩まれたんですか?
真由美さん キャビンアテンダントをしている方には理解して頂けると思うのですが・・・
制服を脱いだときですね。航空会社の名前なしに「自分がどれくらいの評価をされるのか?」が怖い人って、たくさんいると思うんです。
私が勤めていた頃は二十年以上前で、今は違うのかもしれませんけれど・・・
チヤホヤされていて、芸能界の方とかプロのスポーツ選手とか、華やかな世界の人とつながっていたりもしたので・・・。
私ではないですよ。まわりの先輩方などがつながっている人が多かったと言うことですが。
― 本当に華やかな職業で、ステイタスがあるという印象ですよね。
真由美さん その5年の間に結婚して娘も産んで、それはそれで恵まれて幸せだったんですけれど・・・。
いつか絶対自分でビジネスを始めたいと思っていたので、今の、娘が小さいうちに考えておかなければいけないと思っていました。
試行錯誤の時期
真由美さん 「何をするか?」っていうのがまずわからなくて、いろいろとやりました。
洋服が好きだったので、自分で縫って友人たちに買ってもらったり。
でも自分でパターンが作れないですから、既成のパターンに布を合わせて作るだけだったので、限界があるなと思いました。
自分で作るので、せっかく注文を受けても制作時間と経費に対価が見合わないと感じたり(笑)
そういうことも全然わからずにしていたんですね。それで「ああ、頭打ちだ」って・・・。
その次は、グアムやハワイに住んでいたので、アクセサリーとかバッグとかを買って、日本に帰ったときにお友達に売ることもしました。
― 自分で作らずに、仕入れて販売することに方向転換なさったんですね。
真由美さん それは稼げたんですけれども、長くは続けられないなと思ったのです。
というのも、夫が航空会社に勤めていたからこそ海外へ行き来するのも格安でしたけれど、それは一生は続かないことなので・・・そう考えるとまた頭打ちになりました。
― 最初から美容関連のお仕事をしていらしたものと思い込んでいましたので、驚きました!
キャビンアテンダントさんから、ハンドメイドの服作りを経て、アクセサリー販売などもしていらしたんですね。
転機
転機は夫の早期退職と大学入学のため転居だった
真由美さん あるとき夫が、乗務員を辞めて大学で学び直したいと、早期退職をしたいと言ったのです。
私は娘を産んだ時点でキャビンアテンダントの仕事を辞めていました。国際線を飛んでいたので、毎日家に帰れないのでは、娘の面倒を見られないからです。
それでハワイの宝石店でパート勤めをしていましたが、夫の早期退職を機にハワイからメリーランドに移り住みました。
メリーランドには夫の姉もいますしハワイに比べると物価も安いので、「夫が学生にもどっても、なんとかやっていけるな」という決断でした。
その頃には、もがいていた思いがだんだん形になってきて、何がしたいのかが少しずつ分かってきていましたし。
― それは何ですか?
真由美さん 女性を元気づけたい、女性に輝いて欲しい・・・そのために、ほんとにてっとり早いのが、見た目を変えてあげることです。
外見を良くしたら自信ができて、人生もすぐ変わるとわかったので、「美容業界に進もう」と思ったんです。
メリーランドに移ってすぐは仕事を捜したりしていたんですけれど、専門学校に通ってメイクアップアーティストになることにしました。
― 美容やコスメが好きだった、キャビンアテンダント時代の好みが生かされるわけですね!
それは何歳くらいの頃ですか?
真由美さん 30歳になっていました。
メイクアップアーティストになろうとして州の規則を調べたら、専門学校で美容師の免許を取ったら、メイクもネイルもスキンケアも髪も全部できるということがわかったのです。
それで「どうせ免許を取るなら美容学校が一番良い投資だ」ということがわかって、美容師の免許を取りました。
晴れて美容師になる
真由美さん それで美容師になったのですが、別に普通でぱっとしない美容師でしたので(笑)
「やっぱりこれは、自分にすごく向いてるわけでもないかなー」と思ってしまいました。
業界自体も売れれば良いという感覚で、自分で最高の記録を出しても「次の月もっと売りましょう」という繰り返しでした。
― 経営してらしたわけではなく、お勤めだったんですね?
真由美さん そうです。勤めていました。
当たり前のことですが、仕事が終わったあとの時間帯とか、土日とかに髪を切りたいと思う人が多いので、夜とか土日とかに働く職場でした。
最初、プライベートサロンに雇ってもらっていたのですが、娘を育てながらだと夜がたいへんで、「もう少し自分のスケジュールがコントロールできた方がいいな」と思ってチェーン店の美容院に転職しました。
チェーン店だとパートタイムで働いたり、フルタイムでも、自分で9時から5時までとか10時から6時までとか、いろいろリクエストができるのです。
娘を託児所に預けながら、6時にピックアップなので5時までで仕事を終わって、運転して娘を迎えに行くということをやっていました。
― メイクアップアーティストになろうと目標を決めたらすぐに、30歳で美容学校に入り免許を取るとは、やはり行動力がありますね!
そのあとは、家庭生活や娘さんの送り迎えに合わせて、チェーン展開する美容院に勤められたと・・・。とても堅実ですね。
真由美さん いずれは自分でビジネスをしたいと思っていたので、5年くらい美容師をやったところで、そのときは美容室を経営しようと思っていました。
美容室ではなくスパを経営したい
真由美さん アメリカでは美容室はエステ部門も持っていて、スパと呼ばれるのがすごく多いんですね。
それで、私もスパを持ちたいなと思い始めて・・・
一応免許のなかにスキンケアも含まれているんですけれども、スキンケアはあまり勉強してませんでしたし、どういう商品がいいのか、どういう人を雇うのがいいのか、自分がわかっていなければいけないと思って、もう一度勉強してみようと思ったのです。
― もう一度勉強ですか?
真由美さん はい。専門学校に入りなおして、スキンケアを学ぼうとして、そこで、運命的な出会いをしました。
転機 2
運命的な出会いで道が開かれた
真由美さん 私が師と仰ぐキャロル・ウオルダマンさんは、今は引退したみたいな形になっていますので、知らない方が多いんですが、アメリカの美容業界で伝説とも言われた方です。
メリーランド州が、「アメリカで一番最初にスキンケア学校を持った州になりたい」と、州のステイトボードと言う美容を扱う部門のほうから彼女に依頼して、学校をオープンさせたくらいの人なんですよ。
先生はヨーロッパで美容とかエステについて学ばれていたんですけれど、テキストも何もないのでフランス語のテキストブックを取り寄せ、自分で翻訳してテキストを作り、アメリカで最初のスキンケア学校 VON LEE INTERNATIONAL SCHOOL OF AESTHETICS, INCを作られたのです。
もっとも、ほかにもアメリカで一番最初のスキンケア学校ですと宣伝している学校はたくさんあるんですが。
たぶんキャロル先生が作られた学校が、一番最初なんじゃないかなと思うんですけれど(笑)
その方のクラスにたまたま入ることができて、そこで人生が変わってしまいました。
― たまたま伝説の先生から直接教えを受けたということですか?
真由美さん そうなんです! もうすごいラッキーで・・・
キャロル先生がいらした頃は、何度もアメリカでベストのスキンケア専門学校だと言われていたんですが、私はそれを知らなくて(笑)
近くにあるところだからと、たまたま行ったらば、全米で有名な名門校だったわけです。
まるで『思考は現実になる』を地で行く入学エピソード!
真由美さん それで、入学しようと思ったんですけれど2年待ちだったんです。
― 入学するのに2年待ち!
真由美さん 「2年も待てません」と言ったらキャンセル待ちのリストがあって、「そこに登録していたら、もう少し早く入れるかもしれません」て言われたんです。
そのとき担当だったトムさんに「そんなに待てません。どうすればいいんですか?」って言ったら、「学校にいつも問い合わせて空き状況を良くチェックする人は、熱意があるんだなってことで、後ろの順番の人でも先に入れる可能性はあるかもしれませんね」って・・・。
約束したわけじゃないんですけど、そう言われたんです。
― なんか、ものすごくアメリカって感じの展開ですね!日本じゃ考えられないです。
真由美さん その次の週から毎週、月曜日の朝一番にトムさんに「パチコスキー真由美です!」って電話してですね、「空きありますか?」って毎週。
ほんとトムさんイヤになったと思います(笑)
「またこいつか」って思われてる感じはあったんですけど、そうしていたらあるときに「ああ」とか言って「今日、たまたまキャンセルが出ました」って言って。
― え? もしかして、ですか!
真由美さん 私はウエイティングリストでもずいぶん後ろのほうだったんですけれど・・・
「あなたはいつも電話してくださるし、キャンセルが出たあとに、あなたが電話してきたから、これはもう、あなたにさしあげましょう」って(笑)
― きゃー!アメリカンドリームですね! 映画みたいな展開!
真由美さん それで、4か月後くらいあとに開講されるクラスに入れたんです。
そしたらそれが、たまたまキャロル先生のクラスで、彼女から直接指導を受けることができたんです!
― まさに、運命ですね!
真由美さん 私の卒業したVON LEE INTERNATIONAL SCHOOL OF AESTHETICS, INCは、マッサージなんかでも全部見ないといけないので、小人数制なんですね。大学みたいに大人数の公開講座にはしないというところで、だからいっぱい質問もできたのです。
真由美さん ずっと入りびたって、キャロル先生のお部屋におじゃまして、スキンケアのとりこになってしまって・・・
「これは卒業したら、スキンケア一本で行こう」と決めたんです。
メイクアップアーティストからエステティシャンへ目標が変わる
真由美さん 半分くらい課程が過ぎたとき、キャロル先生に話に行ったんですね。
「先生が勧めている化粧品のプロダクトが素晴らしいので、その化粧品ラインを使ってエステティックをやって行きたい」と。
でもテストを受けて資格がないとその化粧品ラインは使えないんですね。
「だから、その製品を使ってらっしゃるエステティシャンをご存じですか?」って聞きました。
それと、「学校で教えてくれるのはほんとに基本なので、プロとして施術をしている人がどういうことをやっているのかを知りたい。
そういう人に弟子入りするみたいな形で、働きたい。お金はいらないですから」とも言いました。
「私はもう美容師のライセンスは持っているので、ここでは生徒だけれども働こうと思えば働けるし、手伝いをするのも問題ない」と。
「学校とパートタイムの仕事のあいまの時間、掃除をしたりするかわりに施術を見させてくれるような人はいませんか?」って、お願いしたんです。
エステティシャンへの道が開ける
真由美さん 「真由美ちょうどよかったわ」ってキャロル先生が、「そういう人を探している人がいます」ということになって・・・
― うわあ。まさに「引き寄せの法則」「願望実現」ですね!
真由美さん 面接に行きましたが、キャロル先生が紹介してくださったので、履歴書も見ないの。書類を横に置いてしまってね。
「どういうスキンケアをしたいですか?」って聞かれて、自分の考えを話すと「自分が今やっているエステと似てる」ということでOKが出て、弟子入りしたようになって、半年後に学校を卒業したときは、自然に美容師はやめて、そのままそのサロンにアシスタントみたいな形で雇っていただきました。
エステティシャンにはなったものの・・・
真由美さん 仕事には就けたものの、歩合制で、自分がしたサービス分の見返りだったので最初の頃は苦労しました。
オーナーはヨーロッパで勉強して、それからキャロル先生の下でも勉強された方だからすごい技術をお持ちなんです。そこへ私みたいなペーペーが入っても、お客様が私にはしてもらいたくないと思う(笑)
同じお金を払うんだったら先生のほうにやって欲しいっていう・・・
はじめはお客様に嫌がられたりして、悲しいこともいっぱいありましたが、それは私の技術が低いからしかたのないことです。
― なかなかそうは思えないですけどね、凡人だと。
真由美さん ほんとに練習して、あと先生の足のマッサージからさせてもらって・・・
弟子入りをしてから3年半くらいで、最後のほうにはプロダクトを注文するのから、先生がバケーションを取られる間のお客様の施術、経営も全部まかせてもらえる状態まで行けました。
― ああ、すごい! もうそうなったら、いよいよ独立ですね!
独立は突然に
真由美さん そのとき、いつか自分でやってみたいと思いながら、「まだまだ子供が小さいから」とか、「まだお金も貯まっていないし(二つ専門学校に行って使っちゃったから、貯めていた資金もほとんど底をついた状態だったので)」とか、自分で言い訳していたんです。
そうしたら、どうしても自分が経営しないといけないなということが起こってしまって。
― 少し戻りますけど・・・アシスタントで経営も任されるくらい経験も技術もある状態で、躊躇された期間はどれくらいでしたか?
真由美さん 2年くらいですね。
半年弟子入りしていて、それから1年たった時点で、なんとなくですが「経営はこうやるもんなんだな」とわかって。
フルタイムでコミットするようになって1年半くらいで、自分では「できるかな」って思い始めてたんですけども。
まだ娘も小さいし、お迎えとか行事とかあるじゃないですか?
母親業と、仕事との間で揺れる
真由美さん 特に自分で思ったのは、ビジネスをやっていても母である姿っていうのは見せたいということ。
子どもは自分が産みたくて産んだんだから、ビジネスをしていても子供を邪魔な存在にはしたくない。「お母さんは私を邪魔だと思ってるな」とは絶対、思って欲しくありませんでした。
子育ても一生懸命するというポリシーを決めていたので、どちらかというと時間が自由になる、させてもらえる「アシスタントでいたほうが楽かな」というのもあって・・・
でも、仕事のことを考えたら「自分でこうもやってみたいな」、「ああもやってみたいな」というのがあって・・・。
― きちんと母業をしたい信念と、仕事への欲と、両方がせめぎあっていたんですね。
真由美さん そのはざまで「いつかいつか」って言っていたらお客さんに、「真由美、そんなに難しいことなの?」と言われて。
「ちっちゃい、ほんとにちっちゃいところでいいから、ベッドが入って、タオルが温められて、エステができればいいことでしょ?」
「そんなに資金がたくさんかかることなの?」って言われたんです。
それで、ほんとに削って考えてみれば、30万円とか50万円ぐらいでもやれないことはなかったので、ホントだなと思って、それで始めたんですよね。
― 躊躇していたところを後押ししてくださったのはお客様だったんですね。
真由美さん いや、実はもう一つの事情もあったんです。
オーナーとの経営方針の違い
真由美さん 実は、ちょっとショックなことがあって、「ああ、もう自分でやったほうがいいな」と思ったことがあったんです。
そのときには、「なんでこんなことが起こってしまうんだろう?」って思ったんですが・・・。
なんていうのかな? いつもメッセージは来ているんですよね。小石をこんこんと投げられているみたいに。
「絶対経営しても大丈夫だよ、早く移りなさい」って言うメッセージを無視して受け取らないと、自分の目の前に土砂崩れみたいに、「なんでこんなショックなことが起こるのか」っていうようなことが起こったわけです。
― それは何だったんですか?
真由美さん 私の中で先生は素晴らしい方だったんですが、経営方針が少し違っていて、自分の中で、自分のやりたい経営をやりたいという感情が芽生えてきて、そういうときに決定的に・・・
「あ、自分のビジネスじゃないから、彼女のビジネスだから、自分の思っていることが通らないんだな」と。
「どうにかして自分が合わせなきゃいけないんだな」というところで、すごい苦痛を感じたことがあったんです。
今思うと、それは先生が悪気があってやったことではなくて、私がメッセージを聞かないから、天のほうから「そのサロンを離れなければいけない状況」を差し出されたんです。
それで喧嘩したとかでは全然なく、独立することになりました。
独立のあとのあゆみ
真由美さん 勉強させてもらった先生に恩を仇で返したくないので・・・
- その方の近くにはサロンはオープンしないということと
- お客様の引き抜きはしないということを誓って
お客様も一人もいない状態で、一部屋の個室を借りて始めました。
月に3人エステができれば家賃と光熱費は賄えるなという安いところで、「月に3人だったらどうにかして、やれるかもしれない」というので始めたんです。
だから、すごくなんでも準備万端に整っていたのではなくて、なんとなく独立が起こってしまったというか、そんな感じで開業しました。
でもオープンしたら赤字ではいれませんから。
貯金をくいつぶすこともしたくないし、やっぱり自分で前進するしかないと、体当たりで色々な異業種交流会に出て自分の存在を知ってもらったりとか、お客様を開拓していきました。
― 恩を仇で返したくないというお考えは立派ですね。しかし、実際のところ、どうでしたか?
真由美さん ほんとにお客様がいなくて、二人だけ。
以前の先生のところでお客様だった人が私の連絡先を探しあてて、「真由美じゃないとヤダ」って言ってくれたその二人の方だけですね。
でもその方々は毎月のお客様じゃなかったんです。
二か月に一回とかの方だったんですけど、その方たちが応援するからっていうことで始めて、ほんとに何も知らなくて、手探り状態でした。
自分探しは、苦しくても逃げずに向き合うこと!
真由美さん 主婦の皆さんで、「何かやりたいけれど、何をやったらいいのかな?」とか、「自分には何が向いているんだろう?」とか考えて精神的に追い詰められたり、あれでもない、これでもないって落ち込んでいる方がたくさんいるんじゃないかなって思うんですけど・・・
でもそれは、自分探しなので、苦しいですが逃げずに向き合ってくださいっていうことを伝えたいですね。
そんなに簡単に、ぱーっと見えるものじゃないですから。
紆余曲折した私の経験からも、何かを汲み取ってもらえたらいいなと思います。
― 真由美さん、本日は開業前後のエピソードをありのままにお話くださってありがとうございました。
パチコスキー真由美さんが起業された経緯を伺いしましたが、前職を辞めてから始まった自分探しと、開業までの軌跡は如何でしたでしょうか?
真由美さんの軌跡から学べること
今はエステサロンのオーナーとして成功していらっしゃる真由美さんも、その道を発見するまでに5年間もの試行錯誤の期間があったことは、私達を勇気づけてくれます。
そうした結果みつけた道は、以前自分が好きだった美容やコスメにかかわるものでした。
これは、いわゆる「強み発見」ではないでしょうか?
お手軽に収入に直結しそうなことではなく、自分が本当に好きなモノやコトが仕事になるという良い例のように思います。
そうしてせっかくみつけた「メイクアップアーティストへの道」が、ちょっとズレた「美容師への道」にすり替わってしまうくだりも、良いテキストになると思います。
似て非なることは、結局違うんです。
でも、人生は捨てた物ではありません。
その一見遠回りに見える道から、「スキンケア」が視野に入ってきます。
そのときの、VON LEE INTERNATIONAL SCHOOL OF AESTHETICS, INCへの入学のエピソードは、鳥肌が立ちました。
進むべき道は、向こうからどんどん開いて行く!
ご夫君の早期退職がきっかけで、メリーランド州に行かれたように見えますが、目に見えない糸が真由美さんをメリーランド州へ、VON LEE INTERNATIONAL SCHOOL OF AESTHETICS, INCへ、エステサロン経営者の道へ、引っ張っていったようにさえ思えます。
もちろん、良いことばかりが起こるわけでもありません。
オーナーとの経営方針の違いで、独立開業するときにも、その見えない力が働きました。
「自分ではまだ早い、タイミングではない」と思っているときでも、天からのゴーサインが出れば止まれません。
もとをたどっていけば、キャビンアテンダント時代にどうして「美容」や「コスメ」が好きだったのかも、今の道につながることなのではないかと思えます。
そうすると、生まれた時から真由美さんの心には、「女性を元気づけたい、女性に輝いて欲しい」という種がひそんでいたのではないかと思えるのです。
「強み」とは心にまかれた種
真由美さんだけでなく、すべての人の心に、何らかの種はまかれています。
その種こそが、今よく言われている「強み」ではないでしょうか?
理性や常識で計画を立てずに、「好き!」という感情に注目してみるのが大切なような気がします。
2016年4月12日 インタビュー
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