神と宗教の寓話 ものぐさ教の物語り

昨今、献金を強要する宗教団体の問題が、取りざたされていますね。
何か悩み事があって心が弱くなっているとき、神様にすがりたくなるのは人情だと思います。
でもそのとき、宗教団体の門をたたいてしまうのが間違いのもとだと、私は思うのです。
結論から言いますと、神様と宗教団体は関係ありません。
神様と宗教団体が関係ないことを伝えるために、架空の宗教団体の物語りをします。
ここからはフィクションですよ。
昔々あるところに、ものぐさ花子という娘がいて、彼女に神様がメッセージをくださいました。
そこで花子はメッセージを書き写し、巻物にしました。
花子がその巻物に書かれたメッセージを語ると、たくさんの人が集まり、メッセージをくださった神様をあがめるようになりました。
だんだん人数が増えてくると、集まりに名前がなくては不便だということになり、「ものぐさ教」と名乗るようになりました。
たくさんの信者をまとめるための規則も作り、神様からのメッセージ以外に、守るべき規則も巻物になりました。
たくさんの信者に神様のメッセージと規則を伝えるために、花子以外に「先生」が育成されることになりました。
先生は、一般の信者よりも偉いと教えられました。
先生は、神様からのメッセージを伝えることに専従するために仕事に就かないので、信者たちは先生の生活費を出してあげなくてはいけませんでした。
信者の数が増えると、みんなが集まれる大きな集会所が必要になり、信者がお金を出し合って作ることになりました。
花子が死んだあとも、たくさんの先生が信者をまとめて神様のメッセージを伝え続けました。
集会所の数が増え、先生の数も増えると、どの先生が一番偉いか争うようになり、選挙で決めることになりました。
一番偉い先生は、一番大きな集会所に住み、一番立派な衣服を着るようになりました。
一番偉い先生は、いろいろと政治的に忙しくなり、もう誰にも教えません。
集会所以外にもたくさんの別荘を持ち、世界の王様たちと肩を並べて贅沢をするようになりました。
先生たちは、一番偉い先生をまねて立派な服を着たり、自分の集会所を立派な建物にしたいと思うようになりました。
それで信者たちがたくさん寄付するように、神様からのメッセージを変えました。
いつのまにか、先生と集会所のために献金することが、神様の御意思だと教えられるようになったのです。
年月がたつうちに最初の神様のメッセージは、たくさんの先生方の勝手な解釈で変更され、膨れ上がり、何十巻もの書物になって、信者たちも理解できなくなりました。
そうして信者たちは、神様よりも目の前にいる先生にすがるようになりました。
めでたし、めでたし。
とまあ、こんな具合です。
働かずに贅沢をしている先生方に腹が立ちますが、問題はそこではありません。
「花子がその巻物に書かれたメッセージを語ると、たくさんの人が集まり、メッセージをくださった神様をあがめるようになりました」というところです。
神様のメッセージは最初、ものぐさ花子に伝えられたものでした。
ものぐさ花子にメッセージが来るなら、自分にも直接神様からのメッセージが来るはずではありませんか?
花子のように、誰だって、直接神様と話したり聞いたりできるのです。
花子を通したり、ましてや「先生」を通す必要などまったくありません。
ものぐさ花子に伝えられたメッセージを、花子の書いた巻物で知り、花子を通じて「メッセージをくださった神様をあがめるようになった」というところが、問題の原点です。
ものぐさ教の集会所に行かなくても、どこででも、神様に話しかけ、神様からの返事はいただけます。
花子を特別な人だと思い、自分は特別ではないから神様からの声を聞いたりできないと思っている人が、心が弱くなって神様にすがりたいとき、宗教団体の扉をたたいてしまうのです。
だめですよ。
宗教団体の扉をたたいたら。
神様は、自分の心の中におられます。
自分の体こそが神殿です。
だれだって、神様に愛されているし、神様に相談できるし、神様は助けてくださいます。
働かない先生を養ってあげる必要なんて全然ない。
集会所をきれいにするくらいなら、自分の家をきれいにしましょう。