「願望実現の法則」は宇宙の初期設定。赤ちゃんが裸で生まれてくる理由。

こんにちは。

願望実現について、あなたの意見は面白いから書いてよと言われたニッカです。

 

願望実現の方法を基礎から学ぶ講座にようこそいらっしゃいました。

「願望実現の方法」とは、奇跡を起こす方法のことです。

りんごの実をもいで収穫する方法は奇跡とは言いませんね?

しかしあなたが「りんごが欲しいな」と思ったときに、突然、カゴいっぱいのりんごが玄関に置いてあるとする。

この体験を奇跡と呼ぶかどうかは別として、こういう不思議なことを、起こしたいときに起こせるようになるのが「願望実現」です。

 

赤ちゃんはなぜ、裸で生まれて来られるのか?

理性的な人は、自分がりんごを欲しがったことと、玄関にりんごが置かれていることの間に因果関係があることを認めません。

気味悪がって、せっかくのりんごを捨ててしまい、改めて八百屋さんでりんごを買うかもしれませんね。

 

しかし私の考えでは、欲しいと願ったものが現れる「願望実現」の法則は、宇宙に初期設定されている法則の一つだと思うのです。

なぜならこの法則がなければ、動植物が生きのびられないから。

この法則は、生命が生きのびるために利用する、ゲームで言うところの「パワーアップアイテム」なのではないでしょうか?

もし「願望実現」の法則がなければ、私達が人類になった初期の頃、体毛は抜けていくのに裸のままで、朝から晩まで食べられる木の実や草、小動物を探して、むなしく歩き回っていたはずです。

でも、我々には「願望実現」の法則がありました。

探せば、それがみつかるのです。

りんごが玄関でみつかるように!

 

 求めなさい。そうすれば、与えられる。
 探しなさい。そうすれば、見つかる。
 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、
 門をたたく者には開かれる。   (新約聖書 マタイによる福音7章7節加羅節

 

赤ちゃんが生まれるとき、裸で食べ物も持たずに生まれて来るのは、「願望実現」の法則で、必要なものはすべて、引き寄せられるからです。

一人の赤ちゃんだけでなく人類も、自分たちに必要なものを願うことで、出現させて生きのびてきました。

切羽詰まって願ったときに、それが叶ったという経験をしている人は少なくないでしょう。

人は何故かその体験を、奇跡だとかレアケースだと言って片付けてしまい、日常生活の中で積極的に使おうとしませんが、日常的に使えるものなのです。

切羽詰った時だけ使える、特別なカードでは無いのです。

私は日常的に願望実現の方法を使って、「宇宙に助けられて楽に生きる生き方」をお伝えしたいのです。

 

ピタゴラ的に仕事をみつけた話し

 

私が秋田に住んでいた頃、玄関前にレタスが置かれていたのは「願望実現」ではなく、ご近所からの単なるプレゼントでしたが(笑)

ひょんなことからピタゴラ的に仕事をみつけたエピソードが、今日のテーマに合うような気がするのでシェアしますね。

 

26才だった私は、家業の洋品店を継ぐため、三宮の洋品店で修行(販売員)をしていました。

アルバイトから正社員になり、さあこれからというときに、左足だけが足の付け根から一本まるまる痛むという体調不良になりました。

痛むけれども力が入らないわけでもないし、立てないわけでも歩けないわけでもないので勤務していましたが、どうしても顔をしかめてしまうくらい痛かったのです。

接客業なのにそんなことでは困ります。私も困りましたが、オーナーも困ってしまって、ついにクビになってしまいました。

クビにはなりましたが、オーナーも申し訳なさそうな顔をしてくださったし、せっかく正社員にしてもらったのに、1年半くらいしか働けなかったので、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

病院にも行きましたが機能的には問題がなく、原因もわからないので、しばらく自宅で寝て過ごすことにしました。

(こういうとき実家住まいというのはありがたいですね)

 

寝ていても痛むのですが、それほど落ち込むこともなく、早く治ることと、次の仕事がすぐにみつかることを願っていました。

そうすると、3ヶ月くらいたったら痛みが薄らいで、出歩けるようになったのです。

出歩けるようになってすぐに出かけた先で知人と出会い、声をかけられました。

「足の具合はどう?」

「はい。だいぶよくなったので、仕事を探そうと思っているところなんです」

 

この何気ない会話のあと、私はすっかり良くなって、ハローワークで事務のアルバイトをみつけ、働き始めました。

自社ビルではありましたが小さな会社で、データ入力の仕事だったと思います。

昼時になると、女子社員数人で、全社員の仕出し弁当を配るというのも仕事のうちでした。

一週間ほどたってなんとなく、「この空気の中で働きたくないな」と思っていたところ、突然、ひと月ほど前に偶然あった知人から連絡があり、「仕事を探してるんでしょ? 学校の事務員が急に辞めることになったので、そのあとにどう?」と言われたのです。

「それは、正職員になれるということでしょうか?」と尋ねたら、「もちろんよ!」とのこと。

正職員の待遇は魅力的でしたが、「でも、もう一週間とはいえ働いている会社があるので、少し考えさせてください」と答えました。

翌日、迷いつつ、その職場の先輩に打ち明けたら、「そんないい仕事があるなら、移るべきよ」と即答され、「私達としては困るけど、あなたのためを思えば、そちらに行くべきだと思う」と言ってくださったので、面接を受けることにしました。

結果、校長面談でOKが出て、雰囲気の良い職場で楽しく12年間働くことになりました。

 

このエピソードに出てくる「急に辞めた事務員」というのは、私の友人でした。
遡ること一年前に、その人がその仕事に就いたことを聞いたとき、私はちょっと羨ましく思っていたのです。
もちろんそのときは、私は洋品店で働いていたので、羨ましがるのもおかしかったのですが。

実際に彼女と入れ違いに勤務することになったとき、彼女を羨ましく思っていた事を思い出し、「ほんのちょっぴり羨ましく思った思いが、心の底に沈んで、芽を出した」ような気がしました。

それも、原因不明の足の痛みから始まり、知人との偶然の出会いと何気ない会話から、ころんと手に入ったのです。

赤ちゃんのように無力になっていても、願えば現実の舞台装置のほうが動いて、ちょうど良い仕事に就けるのが「願望実現」です。

最初にきっかけを与えたあとは連鎖的な運動のみで進行する(転がっていった先で次のものにぶつかって運動が引き継がれる)「ピタゴラ装置」のように・・・

ちょっと思ったことが、病気になったり、治ったり、人と出会ったり、どんどんぶつかって、方向を変えて、あらぬところから願ったものが手に入る「願望実現」。

もしも「願望実現」が思いのままにできるようになったら、人生が楽しくなる気がしませんか?

 

 

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